選択のパラドックス

<選択のパラドックス>

バリー・シュワルツ心理学者(2004年TED)

https://www.youtube.com/watch?v=OVpyJmfRijg&t=93s

https://www.youtube.com/watch?v=ll2bTaYqKjA&t=638s

より

『産業化された西欧諸国において、社会を繁栄をさせようとするために必要なことは、自由を最大化する事である。

なぜなら自由そのものがいい事だからだ。

貴重で価値があり、人であることの根幹をなすからだ。

自由を最大化するためには選択肢を最大限与えることだ』

という"official dogma" がある。

この考えがあまりに浸透しているため、異議を唱えることすら思いつかないし、あまりにも人生に深く埋め込まれている。

、、しかし、、と続く。。

治療方針をどうすればいいか、医師は教えてくれなくなった。

ある治療を選択する時に

「我々はAとBという治療があります。

Aはこんな効果とリスクがある

Bはこんな効果とリスクがある

あなたはどうしますか?」 と聞かれる。


「先生。私はどうすればいいですか?」

と聞いてみても、

「Aはこんな効果とリスクがある

Bはこんな効果とリスクがある

あなたはどうしますか?」 繰り返されるだけだ。

あなたは、

「先生が私ならどうしますか?」 と聞いてみる。

「でも私はあなたではないから」 という答えが返ってくる。

決定の重圧と責任を、知識のある者から、判断に最適ではない者に委ねられる。

患者家族は実際、何も知らないし、具合が悪く、打ちひしがれているのに。

これが「患者の自己決定権」 の正体である。

選択肢が多いと、

自由というより、気持ちが決まらず無力感にさいなまれる。

無力感に打ち勝って選択しても

満足が得られない。


一つを選んで、それが完璧じゃなかった場合、他の選択肢の方がよかったんじゃないかと思ってしまう。

その後悔が自分が下した決断の満足感から差し引かれる。

裕福な産業化国家では、我々の期待値は天井知らずだ。

選択肢が少ない社会に移行する事が繁栄につながると締めくくられていた。

(、、この辺は経済政策の話になり、よく分からなかった。)

***

今日ニュースで5-11歳の子供に接種が開始されると言っていた。

親たちにとって、選択肢が増えてしまった。

「本人の意思を確認して、、」 とどこかの大学病院医師が言っていたが、それはなんか違う気がする。

政府も医師も親も決められないことを幼稚園や小学生に決めさせるのは適当なことなのか。

治療を尽くしてなお、命の終わりが明らかな時に、家族に「心臓が止まった時に、心臓マッサージしますか?」と聞く医療者がいるとしたら、

それもまた、家族に後悔を残す、酷な質問だろう。その場合は、選択肢はない方がいい。

ALSは、、、呼吸器を付ける、付けないの選択肢がある。最低限の選択肢でよかった!としておこう。

閲覧数:0回0件のコメント

最新記事

すべて表示